大正の三大美人“柳原白蓮”の恋模様からみる『旧伊藤伝右衛門邸』

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こんにちは!mocchiと申します。

先日、飯塚にある『旧伊藤伝右衛門邸』について記事を書きました。

《福岡県・飯塚》和洋折衷の装飾が見事な邸宅と広大な庭が見所の『旧伊藤伝右衛門邸』

この邸宅は、筑豊地区で実業家として成功を納めた伊藤伝右衛門という人物の本邸なのですが、妻である柳原白蓮が約10年間暮らした家でもあります。

実はこの2人の恋愛事情がこれまた面白いんです!それを知ってから訪れると、より楽しめること間違いなし。

ということで、今回はそんな2人の生い立ちと結婚後の関係についてご紹介していきたいと思います!まずはそれぞれのプロフィールから。

伊藤 伝右衛門(いとう でんえもん)の生い立ち

「伊藤伝右衛門」『フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)』

伊藤伝右衛門は、若いころは魚の行商や船頭など職を転々としながら、赤貧生活を続けますが、やがて父と手掛けた炭鉱事業が時流に乗り、のちに“筑豊の炭鉱王”と呼ばれるまでになります。

順風満帆と思えた伝右衛門でしたが、明治43年に長年苦楽を共にした妻ハルが45歳で病に倒れ、他界してしまいます。

その後、本邸が舞台となる運命の女性、歌人・柳原白蓮(やなぎはら・びゃくれん)と再婚する事になるのです。

旧伊藤邸の歴史|旧伊藤伝右衛門邸 (kankou-iizuka.jp)

その立派な邸宅からは想像できませんが、なかなかの苦労人だったようですね。妻を亡くした時、伝右衛門は50歳でしたがその当時白蓮はまだ26歳。約2倍の年の差がありましたが、1911年に2人は結婚します。

柳原 白蓮(やなぎわら びゃくれん)の生い立ち

「柳原白蓮」『フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)』

明治十八年(一八八五年)生まれ。柳原伯爵の次女で、大正天皇の従姉弟に当たる。

十四歳で親戚の北小路家に嫁ぎ、十五歳で男子を出産。だが夫の放蕩や姑の強引さに耐えられず、二十歳で実家に戻った。

東洋英和女学校で学ぶが、卒業後すぐに福岡の炭鉱主・伊藤伝右衛門と再び不本意な結婚をさせられる。成金の炭鉱王と華族という身分の違いや、莫大な結納金などが、新聞にも書きたてられた。

「女の本音」を暴露する歌人・柳原白蓮、三度の結婚 | 文春写真館 – 本の話 (bunshun.jp)

なんと伝右衛門と結婚する前に、14歳という若さで1度結婚している白蓮。しかも翌年子供も産んでいます。現在でいうと中学生の年齢。旦那であった北小路資武(きたこうじすけたけ)は、いい夫とは言えなかった様です。生まれた時から地位のあった白蓮でしたが、決して順境な人生を送って来たとはいえませんね。


身分や年齢は違えど、互いに苦労はしていたようです。そんな二人の結婚生活も長くは続きませんでした。結婚から10年が経った1921年、事件は起こったのです…。

白蓮が年下の男と駆けおち!?“白蓮事件”とは

伝右衛門との結婚後、思い描いていたような幸せな結婚生活を送る事が出来ない悲しさからか、白蓮は短歌に情熱を注ぎ始めるようになります。彼女が歌人として活動するようになり、画家・竹下夢二が押絵を手掛けた歌集を自費出版したりと勢力的に活動する中、新たな書籍の出版が決まり編集担当になった人物こそ、宮崎龍介でした。

「宮崎龍介」『フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)』

龍介は彼女よりも7つ下の29歳。

孫文を支援した宮崎滔天(とうてん)の長男で、東京帝国大学法科の3年に在籍しながら新人会を結成し、労働運動に打ち込んでいた龍介。

社会変革の夢を語る龍介は、白蓮がこれまでに出会ったことのないタイプの男性でした。

愛なき結婚?大富豪の美人妻が若者と駆け落ちした理由とは。柳原白蓮の恋と人生 | 和樂web 日本文化の入り口マガジン (intojapanwaraku.com)

年下で大学生という事から学もある龍介に、伝右衛門にはない魅力を感じたのでしょうか。2人は次第に引かれあい、駆け落ちするにまでいたります。白蓮が新聞社を通して伝右衛門に「公開絶縁状」を突きつけたのです。現在でさえも有名人・芸能人の不倫ニュースは大きく取上げられ非難の的となっていますから、大正時代の当時であればどんなに話題になった事でしょうか。2人の駆け落ちは当然話題になり、新聞にも“白蓮事件”として掲載されました。

2人のその後

財界人として精力的な働きを続けた伝右衛門

一方的に去った白蓮に対し、伝右衛門は無理に引き止めることはせず、叩きつけられた絶縁状に対してもしつこく言及はしなかったようです。白蓮との離婚後は女学校の創設、伊藤育英会の創設など、教青・文化事業に注ぎ地域社会に還元した他、銀行の取締役として産業・経済の発展にも力を尽くしました。1947年に87歳という、現在でも中々の長命でその生涯を終えました。

平和活動に注力した白蓮

伝右衛門邸での生活とは対照的に、龍介との結婚生活は経済的には非常に苦しいものでしたが、子供にも恵まれ幸せなものであったようです。長男が戦死してしまうという出来事があってから、晩年は平和を願う活動に尽力し1967年、81歳で生涯に幕を下ろしました。

豪華な邸宅と白蓮

それぞれの生い立ちや、すれ違い続けた2人の関係を知り、改めて邸宅を巡ってみると何倍も楽しめます!特に伝右衛門が彼女の為に設けた2階の『白蓮の部屋』。

写真右上の2階にある部屋が『白蓮の部屋』
『白蓮の部屋』からの眺め

この眺めがいい二階の部屋から、彼女は何を思い、何を感じこの広い庭を見つめていたのでしょうか…。

彼女は生前こんな歌を詠んでいます。

われはここに 神はいづこにましますや 星のまたたき 寂しき夜なり

柳原白蓮 ー『踏絵』

きっと彼女にしか分からない孤独や苦労があったのでしょう。この壮大な邸宅からみてもわかるように、大富豪だった伊藤伝右衛門ですが、白蓮の心までは買えなかったようですね。

邸宅の庭には、『白蓮館』が設けられており、そちらではより詳しく彼女の一生を知ることが出来ますよ。

最後に

まるで映画のような2人の結婚生活。男性からおごられたり、貢がれた経験がない私からすれば、白蓮が羨ましくて仕方ありません…。大分に彼女の別荘も作ってくれたという伝右衛門。多少の不満なんて目をつぶればいいのに!なんて言う私の妬みはさておいて、『旧伊藤伝右衛門邸』に訪れる際は、是非彼らの人生を思いながら散策してみてください。同じ景色でも随分違って見えてきますよ。